Cinema Representationsについて

 ブログ開設から三年。開設当時の基本的な姿勢は変わりませんが、じっくり映画表現を考える時間があまり取れないので、思考が後退してきたのではないかと自分で感じるぐらいです。

 しかし思考の焦点が定まってきた部分もあります。
 それは、映画を作りたくなる言説を述べるべきだ、という事です。

 同人誌で批評を発信する若い人たちにネットで出会いました。大学での研究の延長で活動されているようです。若いのに、完璧なタルコフスキー評を展開するなど、こちらが刺激されて興奮することも何度もありました。批評の力はやはり凄いしとても刺激的です。

 批評は見事にクリアに映像表現を分析し、まるで近代建築を説明するがごとく論理的に高度に映像・映画を説明してくれます。躊躇なく、彼らの活動に尊敬の念を表明することができます。

 しかし同時に、批評が構築しているのは、動きの死んだ、後付けの、博物館に収容されるべき固形物の館であり、19世紀博物学的イデオロギー構築以上のものではないと感じます。何故ならその分析からは次に観たくなる映像表現の端緒を感じ取ることができないからです。

 そうではなく、映画の映像表現は、いきいきと生き表現され、次の映像表現の発動を弾き出す原子炉の燃料となり、映像表現自体を変化させていくものである。死んだ分析枠組からは次の映像表現は生まれてこない――

 そう考えた時、映画論のあるべき姿は、批評のような静的分析ではなく、映画制作者に、そうだ、その延長線上で次はこうした映画を創ろう、とひらめきをを与えることではないか。

 このブログで書きたいことは、そのような、なるほど、次はこうした映像表現をやってみようと映画の作り手たちに発想してもらえるようなことだ。いや、次はこういう表現を試してみたいと自分自身で思える内容だ。

 自ら映像作家となり、やってみたい表現の発現、そしてそれをエネルギーとして拡大していける動的原理の括りだし――そういう議論を今後紡いでいければいいなと思っています。

                           2018/1/2

 


このBlogは、私Kiwi個人が観てきた映画について、映画の表現方法、特に表現意図や効果(representation)について書きためていこうと開いたものです。

このBlogでは主に映画の中で実際に使われている表現、すなわち狙う/狙わずに関わらず、その映画が表現しようとしていること・もの・空気・質感、もしくは智恵・主張・知識・文化・歴史・制度などなどをどのように表現している・出来ているかを見ていきたいと思っています。

映画の話題としては、新作映画が面白かったかどうかなど、映画選びに役立つ情報共有や、あの映画は泣けた、笑えた、ノレたといったテイストを愉しむ話題、主演女優が綺麗かったとかドラマが良く出来ていた、あるいは製作サイドの裏側に迫る話題など、様々な局面があると思います。そうした話題も楽しいですからもちろん取り上げていくつもりです。ただ、そこからもう一歩踏み込んで、映画表現という堅苦しくも確固とした視点からもう少し賢そうに映画が語れないものかなという浅はかな願望と無謀な目論見の共振としてやってみたかったことなのです。

こうしたことはインターネットを使い始めてすぐにやりたかったけれども、あーだこーだとなかなか実現出来ず、結局約20年もかかってしまいました。そういうわけでまずは様々な場所で書いてきた古い投稿を掘り起こしコンテンツのボリュームを捏造したりしています。それほど頻繁に更新も出来ないですが、気の向くままに書いていくつもりです。どうぞよろしくお願いいたします。

2015.12.30 Kiwi  <kiwi@cinemarepresentations.com>

kiwi024

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