映画表現の限界(枠組)

映画は表現の自由を教授するプロダクツのひとつだが、縛りは小説などよりきつい。何億、何十億何百億もつぎ込んでペイしなげばならないから。なので社会コードの範囲が映画表現の限界となる。映画ファンには限界ギリギリの境界表現が好まれたりするが、これがホラーやスプラッター映画にファンができる理由のひとつである。

映画表現が社会コードの範囲内にとどまることは、逆に社会コードがどう変化したかが如実に表れやすかったりする。ヌードやセクシャリティの表現変化が特にイメージしやすい例だろう。

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