『マイノリティ・リポート』と予言の自己成就

2002/01/29投稿
P.K.ディックの『マイノリティ・リポート』を読み終わりました。
この短編、ティックの作品の中でも
屈指の名作の部類に入るのではないでしょうか。
これに目を付けるとは流石です。>スピルバーグ。

お話は、超能力の科学的研究が進んだ時代の犯罪予防局が舞台です。
半植物人間としてしか生きられないプレコグ(予知能力者)3人を使い、
「近い将来間違いなく犯罪を犯す」と2人以上のプレコグに予知された人
物を、犯罪実行前に逮捕してしまうシステムが確立されています。
その社会では犯罪そのものの発生が珍しいこととされています。

そうした社会の中で、その犯罪予防システムの発案者であり犯罪予防局
の局長でもあるアンダートンが「来週までに殺人を犯す」とプレコグた
ちに予知されてしまいます。アンダートンは「あり得ない」として職権
を濫用して報告を握りつぶします。

しかし、その報告には当然コピーが存在し、アンダートンが殺人者候補
であることはすぐに当局の知るところに。アンダートンは、追っ手の追
跡を逃れながら、自分の無実を証明するためにマイノリティ・リポート
(少数派、つまり他の2人とは相反する予知をしたプレコグの報告書)を入
手しようと画策しますが――

――ロバート・K・マートンというアメリカの社会学者の理論に「預言の
自己成就(Self-Fulfilling Prophecy)」というものがあります。

「ある状況が起こりそうだと考えて人々が行為すると、そう思わなけれ
ば起こらなかったはずの状況が実際に実現してしまう」※1とする理論で
す。

典型的には「銀行の取付騒ぎ」がそうだとされています。

アメリカで1932年に実際に起こった事ですが、経営上、何の問題もなかっ
た旧ナショナル銀行が、ある預金者に「あの銀行は危ない」と言われた
(実際には銀行のこととは無関係に単に「危ない」としか言わなかったら
しい)がために、見る見るうちにその銀行が倒産するらしいという噂となっ
て街中に広がり、預金を引き出す人が殺到し、本当にその銀行は潰れて
しまったのだそうです。

「自己成就予言とは、最初の誤った状況の規定が新しい行動を呼び起こ
し、その行動が当初の誤った考えを真実(リアル)なものとすることであ
る。自己成就予言のいかにももっともらしい効力は、誤謬の支配を永続
させる。というのは、予言者なる者は、出来事の実際の経過をもって、
彼がそもそもそのはじめから正しかったことの証明としようとするから
である。。。つむじ曲がりの社会的論理とは、かくのごときものである。」
※2

ディックの「マイノリティ・リポート」では、この「預言の自己成就」
状況をひっくり返し、もし犯罪予防局の局長が「自分が人を殺す」とい
う予知を一番先に聞かされ、報告が間違っていることを証明するために
誰も殺さないように立ち回ったらどうなるのか、が小説のかたちで試さ
れます。そしてその結論は、あらゆる科学的思考の根底に敷かれる確率
統計的/定量的思考への懐疑へと結びついていきます。

聞けばアメリカ人は、世界一、社会学理論を良く知っている国民だそう
で、まさかと思ったのですけれど、この「預言の自己成就(Self-Fulfilling
Prophecy)」も日常生活の中に溶け込んで一般名詞化してしまっているそ
うです。なので、さてはディックめ、マートンの「自己成就預言」の理
論を知ってこの小説を書いたな、と思いきや、この社会理論が論文集の
かたちで発刊されたのが1957年、「マイノリティ・リポート」がファン
タスティック・ユニバース誌に掲載されたのが1956年1月号。ディックの
方が一年ほど先でした。(驚)

映像化はさほど難しくない作品でしょう。ただ、それだけに、むしろ映
像のセンスが厳しく問われそうな作品です。けれど、それ以上に、ディッ
クが小説に封じ込めた「自己言及矛盾」のトリックの醍醐味を、スピル
バーグが果たしてどこまで「映画」にできるのか、今から楽しみになっ
てきました。

※1.作田啓一,「預言の自己成就」,作田啓一・井上俊編,『命題コレクショ
ン社会学』,筑摩書房,1986:pp80-85.

※2.マートン,R.K.,「予言の自己成就」,『社会理論と社会構造』,みす
ず書房,1961:pp384-385.

2002/10/27/ 17:03:34
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この記事はcinemasaloon.comに掲載していた記事の転載です。

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