Time Bandits(バンデッドQ)のこびとは天使か?
テリー・ギリアムのTime Banditsは、1983年の日本公開時、残虐シーンなどをカットした子供向け映画として春休み公開された。日本語タイトルは『バンデッドQ』。ロードショー公開時のパンフには「Qは○○のQ」などと幼稚な文字が躍る。だが実際のTime Banditsはモンティ・パイソンメンバーのギリアム作品らしいブラックジョークやカリカチュア、文明批判?がこれでもかと濃縮注入された大人向け映画だ。
当時Time Banditsの映画評に「ケヴィンは天使であるこびとたちに連れられて様々な時代を旅する」というようなことが書かれていたことがあった。6人のこびとが天使?いや彼らは死神だろう?
ギリアムの最新作『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』のBDを見返して、Time Bandits同様、「選択する意思」が描かれていたことから、長年感じてきた「6人のこびとは死神」というコンテクストを追うことにより、『ドン・キホーテ』とTime Banditsの、いやギリアムの主題の一つと思われる「選択する意思」について考えてみたくなった。なおTime Banditsの詳しいストーリーについてはWikipediaのバンデットQを見て欲しい。
歴史物語が大好きな主人公ケヴィン少年はある日両親に寝ろと命じられて一人自室のベッドで眠りにつく。ところが寝室になぜか中世騎士が馬に乗って現れ、ベッドを飛び越して壁の向こうへと駆け抜けていく。翌日、興味津々で自らベッドに入り騎士の登場を待っていたケビンの前に現れたのは6人のこびとたち。「タイムホールはどこだ?」とケヴィンを問い詰める彼らを追いかけ「巨大な顔」が現れる。”Return the map stolen from me!”と叫びながらどんどんこびととケヴィンに迫ってくる。一緒に逃げる彼らの前に、中世騎士が消えた壁の向こうのタイムホールが現れた。追い詰められたケヴィンはこびとらと共にタイムホールに落ちていく――
こうしてケヴィンと6人のこびと泥棒一味のタイムトラベルが始まる。先ずはナポレオンがいるカスティリオーネ、次にバカ殿ロビン・フッドがいる中世イギリスのシャーウッドの森、そしてオイディプス王がいる古代ギリシャのミケーネ、そして大西洋航海中のタイタニック号へと次々とタイムリープ。タイタニック号が氷河に衝突して沈没すると、真下にあるタイム・オブ・レジェンドへと突入、人食い鬼ウィンストン夫婦の船から逃げ伸びたのも束の間、こびとたちが持つタイムマップを奪おうとするEvil(悪魔)と対決することとなる。
各時代をタイムリープする際、『2001年宇宙の旅』のモノリスが凹んだ形状をした「タイムホール」が現れ、そこに飛び込むことにより別の時代へとリープする。ケヴィンの寝室からカスティリオーネ、シャーウッド、タイタニック、タイム・オブ・レジェンドへのリープにもモノリスが立ち現れてケヴィンと6人の泥棒を次の時代へと導いていく。ところが、シャーウッドの森からのリープの時だけこびとより前に居たケヴィンの目の前に二つのタイムホールが現れる。
「どっちに行けば良いの?」と聞くケヴィンにこびとたちはとにかく逃げろと指示。迷った挙げ句、こびとたちが思っていたタイムホールとは別側に「自らの意思で」飛び込んでしまう。そのタイムホールの行き先で巡り会ったのがミケーネのオイディプス王、ショーン・コネリーだ。
ケヴィンはアガメムノンと彼の時代を気に入り、ミケーネで「生きたい」と願う。その願いに応え、アガメムノンはケヴィンを養子に迎えることにする。しかし養子縁組の儀式が執り行われる最中に、6人のこびとが紛れ込み、嫌がるケヴィンを無理矢理タイタニック行きタイムホールに引きずり込んだ。
こびとらに引き戻されたケヴィンはタイム・オブ・レジェンドで古代から未来までの種々の”戦争”を経験し、Evilを退治したところで自宅の火事の煙に巻かれて目を覚ます。危ういところを消防士に救助されるがその消防士がアガメムノンとソックリのショーン・コネリーその人であった。目を覚ます直前、Evilの破片を拾い終わったこびとたちは「雇用主」に進言する。「ケヴィンも一緒に連れて行ってほしい」。だが「雇用主」は「彼は残って闘うのだ」とこびとの要求を却下した――
ここまでのコンテクストを整理すると、眠りについたケヴィンをタイムホールに連れ込み、様々な時代を引き回したのは6人のこびとたちだ。しかし一度だけケヴィンの意思で自分の進む道を選ぶことがあり、ケヴィンはここで「生きたい」と感じた。そこで出会ったのがショーン・コネリーのアガメムノン王だ。ショーン・コネリーはケヴィンが火事の煙に巻かれている時にも現れる。ショーン・コネリーはケヴィンの「生きる意思」を象徴している。二つの扉が現れてケヴィンが自ら選んだ方が「生きる意思」であり、火事の煙に巻かれてることに気づいた瞬間、ケヴィンは「生きる意思」を選択し目を覚ましたということだ。つまりケヴィンが生きることを選択するとショーン・コネリーが現れて彼を生かすのだ。
逆にケヴィンをタイムリープに引きずり込んだ上、「生きる意思」を封じ込んで嫌がる彼をタイムリープのシリーズに無理矢理戻したのも6人のこびとたちだ。しかも悪魔の破片を拾い終わった後、撤収する時にもケヴィンを連れて行きたいと申し出た。もしその要求を「雇用主」が聞き届けていたら、ケヴィンは火事に巻かれて死んでしまっていたはずだ。6人のこびとは最初から最後までケヴィンを死へと誘う死神だったのだ。天使などでは決して無い。
『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』でも如実に表れていたが、ギリアムは「選択する意思」を常に主題のひとつとして描いているようにみえる。このTime Banditsもそうだし、『未来世紀ブラジル』『バロン』はもちろん、『フィッシャー・キング』『12モンキーズ』『ブラザーズ・グリム』『ゼロの未来』でも、「選択する意思」が大きな主題の一つだと思う。『Dr.パルナサスの鏡』では鏡の中でヴァレンティナが二つの行き先かを選ぶシーンはケヴィンがタイムホールを選ぶシーンのセルフ・パロディになっている。少なくともTime Bandits公開時から40年、重度のギリアムファンだったわたしにはギリアム作品の一つの主軸であるように見える。
その視点から付け加えると、ラストのシークエンス、ケヴィンの両親が火事から運び出したトースターの中の「悪魔の破片」に触って爆死するシーン。”「両親の死」という残酷な事実に直面したケヴィンの現実を優しく表現したもの”という主旨の優しい解釈をされる方もかつて居られた※けれど、そうではなく、ギリアムのレトリックとしてはこの両親にも選択の機会が与えられたが、彼らはEvilを選んでサヨウナラ、という演出だったとみるのが恐らくは一貫したギリアム作品の見方と言うことが出来るだろう。
※STAR LOG 1983年5月号『『バンデッドQ』はなぜカット上映されなければならなかったのか?』石上三登志