ローズ・イン・タイドランド

Road show公開時、劇場で観たときはドン引きした。なにしろギリアム作品のテイストは微塵も感じられず、始めから終わりまで死臭が漂う悲壮感しかない映画に思えたからだ。

だが、違った。「ギリアムの映画だから」という先入観が強すぎて完全に見誤っていた。

今、ギリアム作品のおさらいでTime Banditsから順に見直している最中だ。そしてDVDを買ったまま封も開けていなかった『ローズ・イン・タイドランド』を、何度も見るのを辞めようか逡巡した挙げ句、恐る恐る開封してプレーヤーにかけた。2時間があっという間に過ぎ、そしてこの作品はギリアムの最高傑作候補だと確信した。

2回目の鑑賞になるが1st Impressionの観点から3点だけ指摘。

第一。この映画は、オーバードーズで両親を失い、父の死体とともに暮らす少女ローズが主人公だが、これはたいへんエロチックな作品だ。ギリアム作品はセックス描写が極端に少ないが、この作品では『未来世紀ブラジル』以来となるセックス描写が出てくる。今回DVD鑑賞だがBDプレーヤーのUpConvert機能が効いていて画質はHD相当。HD画質相当で観るとローズが性的魅力に溢れた一人の女性として描かれているのが良くわかる。子どもの魅力ではなく女の魅力だ。児童ポルノではなく純粋な成人女性としての性的魅力が描かれている。なのでローズは化粧をしている。そしてローズを取り巻く死臭漂う環境はこのローズの性的魅力=生命の輝きをより引き立てる道具となっている。原作のままかも知れぬがラストの列車事故シーンも死臭漂うシチュエーションで、ローズは新たな保護者と巡り会い生き延びる。

第二。この映画は狂気と空想が織りなす世界の純愛を一つのテーマとして描いている。現実世界の視線で観れば、ローズは父の死体と暮らし、人形の首と常にお話ししている、無邪気さと空想の中で生きている少女であり、ローズと惹かれ合うディケンズは、なんらかの精神疾患からいつも少年のような空想癖と不安に苛まれている癲癇疾患持ちの醜い成人男性である。常識的に見れば両者の”恋愛”など成立する筈もなく、そのままの視線で見続けると嫌悪感しか感じない。だがこれを真剣で対等な恋愛関係として見事に描き切る。『フィシャー・キング』で浮浪者のパリーと出版社勤務のOLリディアを恐ろしいほどのお似合いカップルに描いたように、より極端に、より不整合に、だがキチンと成立する恋愛関係としてギリアムは描き切ったようだ。

第三。この映画は『みつばちのささやき』へのオマージュである。ギリアム作品では過去の名作映画のオマージュがふんだんに挿入される。例えば『未来世紀ブラジル』ではヒッチコックの『めまい』やエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』、『フィッシャー・キング』ではルキノ・ヴィスコンティの『山猫』舞踏会。『ローズ・イン・タイドランド』は映画そのものがヴィクトル・エリセの『みつばちのささやき』へのオマージュと言える。ローズはアナとダブってくる。『みつばちのささやき』ではアナは負傷した南部兵をフランケンシュタインと空想して匿う。このモチーフをギリアムの感性から発展させ、ローズとディケンズの空想世界の純愛として描いたように感じられた。

狂気と空想の世界の中で生きる希望と命の輝きをこれでもかと描こうとしている――『ローズ・イン・タイドランド』は紛れもないギリアム作品だった。

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