NEXT -ネクスト- ~PKD原作映画が踏まえるべきこと

P.K.Dickの短編『ゴールデンマン』を元にしたニコラス・ケイジ制作・主演の2007年作品。きっかり二分先まで未来が見えるクリスは、その生来の能力を生かしてラスベガスのマジックショーでこっそり生きてきた。が、FBIは以前から彼の能力をマークしてきた。ある時、合衆国内に核爆弾が持ち込まれ、それを追跡するためにFBIに協力するようクリスは迫られる。協力を嫌ったクリスは自己の短期未来予知能力を駆使してFBIから逃げていたのだが。。。

原作の影も形もないものの、テイストはPKDのそれが三割ぐらいは残っていて、PKD原作映画としてはテイストがゼロで最低のマイノリティ・リポート、下から二番目のアジャストメント、三番目のペイ・チェックに次ぎ、四番目をブレードランナーと争っている作品だ。恋愛のシークエンスはいらなくて、それがなければブレードランナーより上だったかも。

純粋に映画表現として見る価値があるのは最後のエンドタイトルかもしれない。通常、上から始まり下に流れていくエンドロールが、PKDの『逆回りの世界』よろしく、下から上へと逆流する。それ以外で見るべきは、将棋指しの先読みよろしくクリスが二分先を読み、玉砕する手は分岐点から読み直し失敗しない手を見つけ出していく早回しシーンか。しかし特に評価すべきオリジナリティも構図のマジックもなにも見当たらない表現だ。というか、こんな二分以上先を読まねばならないシチュエーション作るなら、わざわざPKD引いてくる必要は無かったのではなかろうか。

わざわざPKDから引いてくるなら、マイノリティ・リポートのプリコグのようなアンチPKD的キャラクターをわざわざ持ち込んだり、話の基本構造は温存しつつも舞台構成を主眼に置いて現代風にアレンジしてもかえって品格を損なうばかりだ。そうではなく、預言的ですらあるディックの物語構成が現代にどのような意味や意義を持つのかを熟考し、そのエッセンスを際立たせるため実写とアニメとの境界を取り払ってみたり(スキャナー・ダークリー)、物語構成そのものを中核において舞台装置やキャラクターメイキングを徹底してみたり(トータル・リコールとスクリーマーズ)、PKDの預言そのものを伝えようとする姿勢が重要だと考える。そのようにしてPKD原作映画を作る時、絵的には往々にして安っぽいテクノロジーがここにもあそこにも魅力なく散在するような絵になる。ところがそれこそがPKDの原作を雄弁に語り出し、数十年前とは信じられない話のリアリティを醸し出してくれる。

残念ながらこの映画には、ブレードランナー同様、そうしたPKD的リアリティはうまく描けなかった。わたしはマーサー教の出てこない『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』はPKD原作ではない、と思ったが、別のPKDファンの方が「動物図鑑を持たないデッカードなどPKD原作ではない」と指摘していた。そちらの方がPKDのエッセンスの欠如を的確に指摘しているように思う。二分以上先の未来が読めるクリスはPKD原作という資格がまったく無いに等しいのである。 2016.3.2

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