ソーシャル・ネットワーク
ご存じFaceBook創始者であるマーク・ザッカーバーグが、FBを立ち上げて成長させていく様と、運営の中で巻き込まれていく訴訟過程を同時並行的に描いたデビッド・フィンチャー作品。反感と偏見を持って見始めたが、これがめちゃくちゃ良い作品に仕上がっていて圧倒された。
いわゆる大学生はとてものんびり話す。これが大学院になると学部生の2~3倍のスピードで学生も研究者も話す。ビジネスマンの1.5倍は速い。この映画のスピードはそうした研究者級の”話速”で冒頭から目まぐるしく展開する。普通、というかそうした速度の必要の無いストーリーだとこの速度自体にイライラするはずだ。だがこの映画の場合、小気味よく感じられ気持ちいい。通勤ラッシュ時の大駅通路や鬼交通量の交差点でもぶつかることも渋滞することもなくスルスル・キビキビと行き交う人やクルマを見るように、映画が始まると同時に一切無駄なく事故無く渋滞無く、会話がスルスル・キビキビと小気味良く流れ出す。FBに反感と偏見にあふれる私もあっという間に流れに飲み込まれてしまった。
FBに反感と偏見、というのは、前者が日常的に行っていると思われる投稿記事の検閲への反感であり、後者が2014年夏頃に明らかになった心理実験、即ちユーザーコメントを無許可でネガティヴコメントに書き換え、感情が伝播していくかどうかをFBで大規模に観察した心理実験への批判である。それ以前にもFBはSNSが選挙結果に影響するかを実験していたことがあるらしい。そういうわけで私はFBとそのCEOであるザッカーバーグには少なからず反感と偏見を抱いていた。そしてこいつらを美化するような映画を作るとはけしからん、とかなり本気で「激おこモード」に入りかけていた。なんでわざわざマッドサイエンティストを美化するんだと。
だが映画はまさにそういう内容であり、それがありのままに描かれているだけの映画であった。マッドサイエンティストが、コードがクールかどうかだけで裁判まで起こされ、親友に訴えられるという。そして美しくはなく、むしろ泥仕合であるという内容の映画であった。FBへの反感と偏見は割ときれいに吹き飛んでしまった。
映画の基本的骨格はこうだ。元カノ・エリカにフラれ、腹いせに女子のソーシャルなデータを大学からハッキングして学内公開するとこから始まる。その後新たに立ち上げたFBが人気となるがエリカには歯牙にもかけられないことから拡大路線に踏み切る。そしてFBが全世界で知られるようになった後、友達検索かけたらエリカが登録していることに気づく。友達リクエストを送って数十秒ごとにF5連打、リクエスト承認を待ち続ける、そういう映画だ。representationとしては純粋にエリカを見返してやるのがFB開設の動機であったということになろう。もちろんエリカに未練たっぷりだと見て良いんだろう(Wikipediaによればザッカーバーグ本人も特に否定してる様子はない)。このメッセージ通りであれば反感や偏見を持つだけアホらしい。承認されればいいね!と親身で言ってあげられそうだ。
脚本も良くできてる。在学女子のリストを大学サーバからwgetして、などというUnixコマンドが話の展開に平気で出てきたりするので、実は話に全くついて行けてなかった観客も多々いらっしゃることだろう。だがそうした面も含めてリアルでキッチュな良い脚本に仕上がっている。「セブン」や「ファイトクラブ」などの初期のフィンチャー作品はキザで好きになれなかったが、良い映画を作るようになったみたいなのでフィンチャー作品にもう一度トライしてみる気持ちになりました。 2016.3.1