エリジウム

にわかニール・ブロムカンプ・マイブームにつき、長編2作目エリジウムも怒濤の連続鑑賞。いやあ、巨大人工衛星がきれいだ。

昨今は何かと地球外惑星に取り残されるマット・デーモンが、金持ち以外が取り残されている”汚れた地球”にやはり取り残されてる話。

――勤務するドロイド工場で”放射性物質”らしき塗装物を扱うチェンバーに、半ば強制的にやはり取り残されるマット・デーモン。当然、高濃度の放射線らしきものを浴びたデーモンは5日の命だと診断される。金持ち=市民たちは頭上の空に美しく輝く人工衛星・エリジウムで優雅に暮らす。そこにはあらゆる病を完治出来る装置がある。デーモンと、彼の幼なじみの女の娘の白血病の治癒を目指し、貧乏人=not市民が上陸を許可されていないエリジウムへの果敢な侵入劇が始まる――

例によって過激な戦闘・バイオレンスシーンの連続+家族愛な映画であるが、第9地区とチャッピーに比べると、ミクロではなくマクロ、リアリズムではなく空想的な感触が強い。貧困やアパルトヘイト色の強い社会性をベースにリアリティある世界観が描かれるが、エリジウムでの金持ちライフにはまったくといって良いほどリアリティが感じられない。他の映画監督作品なら十二分に力作だ。だがこれはブロムカンプの持ち味が十分発揮されたとは言えない出来である。

長編3作をすべて観てみて、ブロムカンプ作品のテイストはロバート・A・ハインラインの小説に似ていることが解った。そういう意味ではバーホーベンのスターシップ・トルーパーズのリメイク話が近い将来きっと出てくるだろう。それも楽しみだが、既にオファーが来ているエイリアン5が、リドリー・スコットのスピンオフ=プロメテウス続編との兼ね合いではないかという推理も飛び交う中で、制作を中断させれられる憂き目に遭っているらしい※1。

事実はともかく、そもそもエイリアンは、新進気鋭の監督の登竜門という位置づけだったはず。それを何故、大御所との評価を勝ち取っているリドリー・スコットが横取りするのだろう。傲慢さを捨て、ブロムカンプの好きなようにやらせた方が良いと思うが、ブレードランナー以降まともな映画が撮れないことが彼をとてつもない劣等感コンプレックスの固まりに懲り固めてしまっているのかもしれない。デッカードはレプリカントだと主張する傲慢さが、自らのみならず新進気鋭監督にまで傷を付けないよう祈りたいものだ。 2016.2.29

※1.『エイリアン5』製作中止か!ニール・ブロムカンプ監督がツイッターで明らかに

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