2016年の『未来世紀ブラジル』

昨年公開のギリアム最新作『ゼロの未来』のBDを見直し、ストーリー展開上の「気分」としてどうしてもわからない部分があったので、元となっている『未来世紀ブラジル』 も見直してみた。

わたしは、ギリアム作品の中で『未来世紀ブラジル』が正直好きではなかった。話は暗いし爆弾テロで吹き飛ばされた人々をまあまあリアルに描いて痛々しいし、なによりラストで主人公がどうも殺されるらしいのが受け入れ難く、暗澹たる気分にさせられるからだ。しかしイスラムテロが蔓延する2016年時点で観ると、この映画はそもそもテロと戦う管理社会が描かれた映画であり、映画の中で度々爆弾テロが起こることがとてもリアリティを帯びて見えてくる。また、情報記録局入り口のセキュリティチェックやアイデンティフィケーション描写の中には、カードをかざすだけで認証出来たり、生体認証が使われたり、2016年時点で現実になっていることがいくつもあった。

解っていなかったこともいろいろあった。ギリアムも言うとおり、クライマックスの脱出シーンからラストにかけては完全にロベルト・アンリコの『ふくろうの河』のテイストだ。濃いめの描写シーンの連続なので見直す度に味わいが深くなっていく。清掃作業員の業務用掃除機が乳母車よろしく階段を落ちてきて、追うように一列に並んだ機銃兵がライフルを撃ちながら列を乱さず降りてくる――気づいていなかったが、これは完全にエイゼンシュテイン『戦艦ポチョムキン』のパロディだ。そして、VHSやDVDで繰り返し観た記憶の中では死んでいた主人公サム・ライリ42ーが、ハイビジョン画質では、正気を失くしヘラヘラ笑ってはいるが、死んではいなかった。

『ゼロの未来』で主人公コーエンはなぜか愛するベインズリーと道を違えた。ここでもなにか解っていなかったのか?
いや、やはり『未来世紀ブラジル』でサム・ライリーは、愛するジルと道を違えたりしない。無理矢理引き裂かれたのである。
なぜ『ゼロの未来』ではそうなったのだろう?  2016.2.7

 

 

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