テリー・ギリアムのドン・キホーテ
難解で基本的に悲しめの映画だったがギリアムらしくて私は良かった。
相変わらず女の使い方が巧い。最後はやられた感がある。
日本語タイトルは『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』だが
内容は「ドン・キホーテのテリー・ギリアム」の方が近いか。
自伝的というとギリアムが嫌がりそうなのでライフワーク完了と言っておこう。
大方の予想どおり、タイム・バンディッツ、ブラジル、バロン、
フィッシャーキングなどのギリアム作品からのセルフオマージュ目白押しで
そもそもこの企画が何度も潰れてきたことも自ギャグにしてる。
しかも(準?)主役はCM監督。
その時点で既に現実と映画が絡まってきてるが、
「空想が現実である」という思想?スタンス?モットー?の持ち主のギリアム、
いつもの通り、現実と空想がくるくる入れ替わる。しかも今回はかなり複雑。
何重かの空想の層の合間に夢だとか勘違いが挟まってきて、
逆に空想にしか見えないものが実は現実側だったりする。
ギリアム作品で比較して多分金はこれまででトップクラス級にかかってる。
そのせいかショットがやや単調なのが残念。
とはいえギリアム作品ならではの映像美は堪能できた。
最後、コイツ、なにをいっているのか?と呆れかかったが、
その意図が読めてきて、しまった、これは完全にやられたとわかり
不覚にもジーンときてしまった。
ギリアムの作品に長年親しんできた方には共感して頂けると思う。
客数は、初日初回のせいか平日真っ昼間にしては3~4割の入りで、
なぜか若い女性が半数ぐらいをしめていた。
最初アダム・ドライバーのファンかな?と思ったが、
笑いが英語聞きのポイントで起きていたり、
エンドタイトルでも1人ぐらいしか席を立たなかったので
多くは映画評論関係者なのかもしれんな。
まあしかし一般ウケはしないだろう。
それでもPayできるんだろうから流石ギリアムと言ったところか。