マグリット展

なんとか期間中にマグリット展に潜り込みました。貴重な体験。

おそらく、マグリットの作品をこんなに集約的に見られる機会は今後もそうそうないのではないかというぐらい初期から晩期までの作品が集まっていた。

今までは、「変な画を描くオッサン」とか「シュールというよりポップな画を描くオッサン」、

あるいは”Ceci n’est pas une pipe” (これはパイプではない)というタイトルのパイプの絵がフーコーに引用されたりしているので、「屁理屈くさい絵を描くオッサン」というような印象を持ってたが、

じっくり、徹底的にみてみて、この人は空間表現にこだわって描いてた人なんだということ、それと関連して、「フレームってなに?」ということに異常なまでにこだわり抜いた人なのかな、と感じた。

空間表現といっても、実際の空間の中にリアルな絵画を立体的に並べてみせるのではなく、どちらかというと絵に接近して鑑賞すべきタイプの数々の小品の中 に、通常の我々の感覚のフレームを遙かに飛び越え、「フレームの外側をみせるフレーム」や「人の輪郭というフレーム」「グラデーションというフレーム」と いったエキセントリックな枠組みを用いて異空間を同時に描いてみせてみる、といったことに挑戦していたのだなと。

それはひとつには現代の映画の表現方法に近いやり口だと思う。マルチ画面の多用だけではなく、オーバーラップ・クロスフェードといった「グラデーションと いうフレーム」、ブルーバック合成という形で映画の中に登場してくる「人の輪郭というフレーム」など、種々の映画表現とダブってくる。フレームの外側をみ せるフレームには具体例を挙げられないけど、たぶん映像表現として何かあるんじゃないかな。

また、ひとつには現代物理学で確実にあるといわれている「並行世界」を描こうとしていたようにも感じられる。ただしこちらは具体的にどこがどうというよう に指摘するのは難しい。それでもフレームにこだわるマグリットの絵を見ていると、世界はひとつではないという感覚を何とか描こうと取り組み、その取り組み の結晶をみる我々はなぜか美しいという感覚に誘われるのがおもしろい。

どこかカメラでみたタッチの絵柄が多いので、たぶん「カメラでみた世界」の影響をマグリットは受けてしまっているのだろうけど、それだけにとどまらない魅力を実感することが出来る、そんな展覧会でした。

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