チャッピー

ソルトで完全に不完全燃焼してしまったので、買っていたけど未消化だったチャッピーを観た。
ずつと気にかかっていたニール・ブロムカンプ初体験。これは鮮やかな斬り方!

出だしから紳士的。「ご承知の通り、これはロボコップに最大級のオマージュを捧げていますよ」と言わんばかりの導入。ヒュー・ジャックマンの作るロボットもロボコップでジョーンズ副社長が推し進めていた戦闘ロボットのデザインそのまま。ストーリーの大枠もロボコップにかなり似通っていると言っても良い。

が、この映画のrepresentationは明らかにロボコップとは違うオリジナルの哲学で語られる。昨今、AI技術の目覚ましい発展に伴い、AIに根拠のない不安を煽ったり、また感情的にAIを全否定するかの論調の「反AI」に分類できそうな論理がちまたに散見されるようになってきた。一見、チャッピーは非人間的なAIへのアンチテーゼや、逆にAIが人間知性を凌駕して人間を支配するかのテーマの映画に見えるがさにあらず、この映画はAIが人間以上の知性を得た時、「命」はどのようなものと理解していくべきかという問題に一石を投じている。

チャッピーは、創造主のディオンに訊く。「どうしてすぐに死ぬように僕を作ったの?」

深い。深いし「パパ」や「ママ」とチャッピーの関係にも考えさせられる。反社会的で犯罪者のパパとママに教育を受けながら創造主からの戒めとの葛藤に悩むチャッピー。しかしチャッピーは「ママ」の愛無くして生き続けられなかったし、「パパ」の試練無くして大人には成れなかっただろう。しかも結局は「パパ」に守られる。

さらに意識(consiance)の扱いはご愛敬としても、AI新時代には古くて新しい問い、即ち、AIが意識を獲得するならば、それは物質的にコピーできるのかという問いを含んでいる。今後AIがディープラーニングを超える時絶対に問われるであろうテーマをおもむろにしたと言って良い。コピーできるならそれは意識といえるのだろうか。

SFという題材においてこのような深い問いを削り出してきたのはPKDかそれこそバーホーベン以来なのではないか。買ってそのままになっていたエリジウムと出世作第9地区も早く観たくなった。 2016.2.15

 

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