コンタクト冒頭の宇宙のシーン

 DVDもBDも買っていたにもかかわらずBSPremiumで録画したのでとりあえず鑑賞。この作品は少なくとも数十回は観ていて部分部分の台詞が英語で頭に入っています。バック・トゥ・ザ・フューチャーを別にすればゼメキスの最高傑作でしょう。科学者の苦悩やモチベーション等が見事に描かれた作品で、個人的には2001年宇宙の旅とインターステラを繋ぐ宇宙物理学三部作の一つと位置づけています。これについてはそのうち書こうと思いながら幾年月。

 さて、今回はそのコンタクトの冒頭シーン。無音が続き、Contactのロゴが消え、国際宇宙ステーションの高度あたりからみる地球の映像がパッと出る。何重にも重なるラジオ音楽の騒音がガナり、映像は徐々に地球から遠のいて行く。それに連れて音楽やナレーションがなんとなく古めいてくる。月が猛スピードでそばをすり抜け地球に重なり、火星が舐める頃にはブギウギシックスティーン。アステロイドベルトを超えたあたりではケネディ暗殺のニュース。土星を過ぎた頃にはハリウッド赤狩りの声、惑星系を出たあたりでナチスの放送とおぼしき音声が聞こえ、以後、無音のまま3分以上も星団、暗黒星雲、天の川銀河、マゼラン星雲、蟹座赤色星雲などが画面中央に流れ消えていく。そして数多の銀河が吸い込まれ、まばゆい光の集合へ溶けていくと、光は「CQ W9GFO」とコールを続ける幼い頃のエリーの瞳の超クローズアップだったことが判明する――

 この冒頭シーンはエリーの果てしない探究心をワンショットで描いていて、エリーがどういう人生を送るかを端的に描写している。はじめに観た時はあまりにあからさま過ぎて顔を赤らめざるを得なかったが、数十回観る内、この冒頭シーンはこれから観る映画がどのような内容であるかを見事に示している理想的なシーンと考えるようになりました。

 長年の経験から、冒頭シーンが意味不明な作品に出来の良い映画はほぼない、と確信しています。というのも、テーマが決まっていなかったり、どこが見せ場か詰められてない映画を冒頭シーン数分で印象づけることなど不可能であり、冒頭シーンが適当に流されている映画など、ちゃんとできた作品では無いことが確かだからです。

 007シリーズがわかりやすい。冒頭、ボンドが何らかの事件に巻き込まれるも軽く解決し、アート感に溢れるオープニングタイトルに移行するというのが定石です。が、その際、今回の作品ではどのようなサスペンスが待ち受けているのかがいつもそれとなく示唆されています。露骨でなくとも、ちゃんとした映画のほとんどが、冒頭シーンを観ただけで、話のテイスト、アート感、喜怒哀楽の感覚、そしてそれらの感覚が裏切られるのかどうかまで計算されて打ち出されるのが当たり前です。テレビ局映画や一部アニメ作品ではこれができていないことが多いですけど。

 そうした、映画にとって観客をつかむ重要な冒頭シーンとして、コンタクトのこの表現は、独創性があり、映画の中身を如実に示し、美しくかつアートとしても良い出来のシーンだと考えます。原作者でアドバイザーであり、なのに映画の完成を見ることなく亡くなったカール・セイガンの捧げた研究姿勢をも見事に表現できているのではないでしょうか。

 このトップシーンがあってこそ、ラストにでてくる ‘For Carl’というDedicateの言葉がしみじみ泣かせるのだと思います。

                       2018/1/1

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